車中泊

切符
東京から200キロ彼方の伊豆半島


その半島の一角にある伊東駅、人のごったがえす狭いホームで、雨の夜空を仰ぐ。

伊豆半島を包んだ雨雲は、結果として私の有給日数を一日減らす事となった。


止まった電車から降り、改札に向かう。駅の自動改札機は停止され、誰もが自由に行き来をしていた。


窓口には怒号と謝罪の声が響き、改札を少し出ると、傘を持ちながら最寄り駅へのタクシーを求める長蛇の列。コンビニの弁当は売り切れ御礼。スナック菓子しかない状態。止まる電車とみどりの窓口に並ぶ人の列、改札前にごったがえし、異様な熱気に疲労感は倍増しそうだった。


特急電車は自由席が満席、僕等も自由席へ。
雨で濡れたデッキの床にゴミ袋を敷いて座る。
友人にビールを配る、今夜は電車で酒盛りだ。
少しくらい進めよと友人が愚痴る。


今回の旅程は、電車であれば、車の運転手を用意する必要もなく、
疲れも溜まらないという予測に対する最悪の回答となった。


更に前日、つまり初日に起こしていたあるトラブルが、事態を更に重くする。初日に温泉で防水仕様の携帯を入れて遊んでたら、携帯電話の数字キーが操作できなくなった事だ。それは携帯の操作を暗唱番号の入力抜きにはできなくしている自分にとって、携帯が使えなくなる事を意味していた。


勿論それだけなら問題はなかった、私は友人共々現地を二時過ぎに離れ、日曜の17時には東京駅に着き、19時過ぎには悠々自適とネットサーフィンでもして、寮の友人に携帯が壊れた馬鹿話をすれば良かったのだ。


だが電車が止まり日曜中の帰宅が不可能になった時、会社への連絡手段が断たれていた事は、いよいよ致命傷となった。勿論、公衆電話は駅にあった、が、番号がわからない。友人の番号も覚えていない、携帯が操作できないためアドレスの参照もかなわない。


もはやこれまでと言わざるを得なかった。

電車が伊東を動いたのは翌日にして本日月曜日の朝八時半過ぎ。会社の始業時間はこのあたりであり、新橋に到着する12時頃には、着信履歴だけで20件を突破した。携帯電話自体は生存しており、バックライトは生きているから、着信履歴やメールの受信件数だけが表示され、余計自分を焦らせた。

東京で皆と別れ、新橋で携帯のロック解除を依頼、解除次第連絡、各方面に謝罪。
でっかいおまんじゅう買ってきましたとか言ってる場合ではない。


みんなおつかれ。本当。

羅針盤

板橋区

何にウェイトを置くかというのは、先の未来で大きな影響を及ぼす事柄だと思う。

日常がただただ流れていくのを眺める毎日も良いとは思うが、少なくとも、自分にとってはリスキーに映った。

私が今やるべきは




当たり前を、もっと、ずっと。


難易度の上がるゲーム。


脱落する人も出る。


普通が、普通じゃなくなる。


そんな、時代。

生産性の無い部門は委託されるか、賃金に下げ圧力が働くか、どっちかであるし。

とうとう昨年度の雇用者所得総和は01年度を下回った。七年前の数字を下回った。と。

もっとも、団塊世代退職と労働人口の減少を考えると、雇用者所得総和は減るのが当然なんだけど。
それにしたって、経済が成長してる以上、増えてないのはおかしな話。
そう、一応は景気拡大期だったのだ、最近まで。だから、所得も増えておかしくない。だが、減った。


ま、いんですけどね。皆でタイタニックごっこするのも楽しいとは思うので。
浮き輪がどう考えても足りないことを除けば。



そんな事より重要なことが、俺のPCが壊れそうです。変な音してるし。
風呂入るかなー眠い。まじねむ。

采配

板橋区

じゃんけんで、残り三人がぱーをだした。
私はぐーをだした。

・・・
・・

私が旅行の手配をすることになった。
池袋パルコJTBは大学時代からずっとお世話になってるけど、社会人になってからも使うとは思わなかった。
路線が変わって、東口が近くなったお陰で歩いてすぐ行けるのがいい。

盤上の駒

板橋区
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パソコン貯金を始めようという話。

大学入学時に祖父の祝い金で買ったパソコンは、耐用年数を突破し、既に二回壊れている。
既に修理保障は失効しており、次回破壊された場合、修理代だけで5万円もかかる。

旧型のパソコンを5万円かけて修理するなら、更に同額積んで、最新型に切り替えるのが賢い選択の様に思う。


モニターを流用すれば本体だけ購入すればいいので、安価にあがるのではないだろうか。今年の年度末にでも切り替えておこうと検討している。冬ボーナスもあるだろうが、ここは堅実に積み立てておこうと思う。
何故なら、12月までこのパソコンが生存しているか、正直自信がないからだ。